浄住寺のご紹介

住職ご挨拶

浄住寺住職の藤岡芝山でございます。このお寺は西暦810年に天台宗寺院として創建されました。1261年に律宗寺院として中興された後、戦火で荒廃いたしましたが、現在は、黄檗宗(禅宗)として活動をしております。

境内は様々な花で彩られ、特に秋は参道が紅葉で紅く染まります。しかしながら、有形文化財でもある堂宇他は老朽化もすすみ、毎年、部分修復を余儀なくされております。

今後、この文化的価値をたくさんの方に知っていただき、保護、修復の機運を高め、継承していくことが私の役目でございます。

まずは四季折々の風情を境内で満喫して頂きたいと思います。ぜひお越しください。

浄住寺
藤岡芝山 拝

洛西の黄檗建築と紅葉の参道

葉室山浄住寺は、平安時代の弘仁元年 (810)、嵯峨天皇の勅願寺として第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開創されたと伝わる。弘長年間 (1261~1263) 藤原家の流れを汲む公家の葉室定嗣卿が奈良の西大寺の僧・叡尊を請じて再建し、以降有力な真言律宗の寺院として栄えた。南北朝時代以後、度重なる兵火により荒廃、元禄2年 (1689) に黄檗宗の僧である鉄牛禅師を中興開山として再興され、黄檗宗寺院となり現在に至る。

伝説

お釈迦様の入滅時に、「捷疾鬼」という鬼神がお釈迦様の歯を一本奪って逃げた。しかし、足の速い韋駄天によってその歯が取り戻され、律宗の祖である中国の道宜律師に渡り、それがやがて日本に渡り嵯峨天皇のもとに届いて浄住寺の石窟に安置されたという話が『太平記』に記されている。その歯は、鉄牛禅師の舎利(骨)とともに寿塔内の石窟に納められていると伝えられ、現在その石窟の上には巨石が置かれている。